0722

f:id:qicmip:20231209184329j:image

高校からの友人にあった。彼女は絵を描くひとである。私は詩をかく人として、共作にむけ話し合った。創作についてワーワーいえる友人がいるのはありがたいなあと思いつつ、死生観やひとに対する俯瞰がにている、という結論。作品作りが楽しみ。

自分は色々と言い訳をしてしまうようになった。やっぱり何かになりたいと思う自分がいるし、どこかに行きたいと思う自分がいる。常に自分の居場所はここではないと思うが、「じゃあどこ?」と言われると何も出てこない。自分を過信しているのか、考えなしで突き進んできたからか、現状に常に不満があるのは昔から変わらない。

特別生活におおきな抑揚があるわけでもなく、平日も過ぎ、土日も過ぎていくような毎日をおくっている。かといって、何かスペシャルな出来事を望んでいるわけでも殊更ないので、これでいいのだという気もする。平日と休日の境がわからなくなることも、平日と平日の境がわからなくなることも多々あって、時間だけを浪費している感覚は拭えず。でも今日は多分一つの節目。節目として、記録する。

以下余談。最近思ったこと、つねに最適解を模索している、選んでみてそれが最適解だと確信できる日は来ないだろう、人生の絶対の目的にはなり得ない、27歳にもなって学校に行きたくないという感覚が拭えない、大衆にはなれない、全部がすこしずつ辛い

水と言葉

 寒すぎやしませんか。この間、春みたいな陽気だった時、春が来ないと思っても春みたいになると感傷的になるのだなと思ったばかりなのに。手袋も、マフラーも、厚手のコートも、ヒートテックも、着てしまった。久々に、忘れたくないことがあったので書き留めておく。 

f:id:qicmip:20181210215028j:image

 水と言葉は似ている。

 どちらも古い時間から今にかけて流れてきて形がない。形があると思っても、それは容れ物の姿だったりする。話し手と聞き手、その都度の環境によって形を変える言葉と、容器によって隙間にまで入り込んで形を変えていく水は、やっぱり同じもののような気がする。

 いつも言い出せなかった言葉や誤解されたりして忘れられなかった言葉を、喉より脳に近いところに置いている。そこには小さな谷のような、もしくは側溝のような溝があって、私の成仏できない言葉たちはそこにたまっていく。これを密かに言葉溜まりと名付けていたのだけど、その姿は多分水溜りに近いものだったんだと今日大学であった吉増剛造の講演会に行って思った。彼の口から「水溜まりを見つけていかねばならない。」と言い放たれた言葉も、もしかしたら私に合わせて形を変えてしまったのかもしれないけど、その通りだと思った。馬琴によれば水溜りには宇宙があって、そこに何かが住んでる、らしい。たまっている水を見つけていきたい。どうにか気づけたらいいなと思う。

f:id:qicmip:20181210215143j:image

 つかむことも触れることも確かめることもできない言葉は時には誰かを抱擁するし、時には誰かを殺したりもする。それは手の隙間を滑り落ち、時には暖かく抱きしめ、時には凶器となって人を殺す水にやっぱり似てるんだと思う。言葉足らずで口下手だからなのか、勝手にそんなことを思いました。いまみたら1番最初の記事にすごく似てた。

 

 「風景や空気が持ってる官能性とか色気的なもの」についての話も聞けたから今日行ってよかった!

足音

 3つ前の記事が青森のことだったので、流石に書こうと思い立って書き出した。夏の影が近づいて来た時はすごくわくわくしてたけど、いざ夏がやってくると暑くてたまりません。毎年こんなに暑かったか、と思っている。日記をどんな気持ちで書いていたのか全く思い出せないから、とりあえず近況でも書く。

 

 金曜5限と土曜の授業をやすんで、実家に帰った。休んだのは両親には内緒だ。帰りたくなったのは突然来た夏にたえられなくなってしまったからかもしれない。バイトも授業もない二連休は久々だったし、実家に帰ったから夏休みみたいだった。実家暮らしのひとがうらやましくなるときと、一人暮らしじゃないと無理だと思う時がある。かえるいえが二つあると、心の余裕がすこしふえるかも、とも少し思う。電車内で夏を思い出す本を読んだ。

 夕食のリクエストをして、「プラムとさくらんぼがあるよー!」という返信をもらう。それだけで実家って最高・・・と思う。家に帰って、母のご飯を食べて、お酒を飲んで、お腹がいっぱいになりながら、1年前には私の部屋だった場所で電気についたシールを見ながら眠った。

f:id:qicmip:20180703002158j:image

 土曜日は朝から同市にある美術館に行った。時間がなかったから、庭だけ見たけどとっても広かった、東京ドーム何個分って数えられるんじゃないかと思った。ガチョウとか、白鳥とか、紫陽花とか、蓮とか、ホトトギスとか、セミとか、カエルとか、いっぱいいた。いっぱい写真を撮れた。お昼にはそうめんを食べて、おなかがいっぱいになったからお昼寝をした。窓から入る風が気持ちよかった。ひまだったからクッキーをやいたりして、夜は家族全員で父の日のプレゼントがわりに集合した。なんでもないような話をたくさんしたけど、楽しかった。わたしはもう今年で23だけど、いつまでも末っ子で入れるから嬉しい。終始お腹いっぱい。お土産にきんつばをもらった。

 日曜日は柴又に行った。もう何度目かわからないくらいの柴又だけど、いつものように帝釈天に行って、とらやでご飯を食べて、寅さん記念館に行って、江戸川の河川敷でやすんだ。父のことが恋しくなった時は、『男はつらいよ』を見るのが常だ。父ってたまに、寅さんのことを真似することがあるな、と思う。帝釈天で写真を撮ったのだけど、岩瀬のライカとわたしのコンタックスで色味が全然違ったので載せておきます。1枚目がライカ、2枚目がコンタックス。そのあとは東京駅でフィルムを現像に出して、夏の旅行の会議をした。

f:id:qicmip:20180703002223j:image
f:id:qicmip:20180703002219j:image

 今日は早起きをして、洗濯物を干して、学校に行った。月曜は小説の授業が2つ。本キャンと文キャン。本キャンより文キャンの方が暑い気がする。はやくアリーナ?の木が生い茂って欲しい。苔とかも生えてドダイトスみたいになればいいのに、と思う。

 某教授の授業が2週間ぶりにあった。わたしは文ジャの教授たちをある種信頼していたみたいで、結構悲しくなってしまったんだけど、ようやくちゃんと怒る感情が湧いて来たところだ。のこった教授たちは大変だと思う。どこかのゼミには所属したいから考えている。

 

 です。家に着いたらまた昼寝をしてしまった。実家からお米が送られて来て、一緒に入っているツナとか、お菓子をみて、もう実家に帰りたくなる。いい具合にあの家には私の部屋がなくなってしまったから、逆によかったな、と思った。あと1ヶ月、夏休みまでレポート地獄だけどどうにか乗り切って頑張ります。岸田繁の声に涙が出そうだ。夏バテには気をつけましょう、クーラーは我慢するもんじゃない、と言い訳を残しておきます。

 

ひと段落

ついた。私の通っている大学は新歓期というものがあって、サークルに参加している学生たちは4・5月は新入生をいれようと躍起になる。学生による学生のためのイベントである。(サークルによって5月末まで新歓期の場合もある事実が恐ろしい)4月頭の1週間、大学構内は凄まじいもので、なんなんだこの最低な場所は・・・と思わざるを得ない。あの中に楽しみを見出している人たちは本当にすごいと思った(皮肉ではない)。「勧誘」という目的があると、会話をしなければならないのでいつも緊張した。昨日のライブと飲み会は楽しかった、あまり新歓はできてないけど

f:id:qicmip:20180423143221j:image

 最近は朝日新聞のアプリをスマートフォンにいれた。なぜ朝日新聞かというとわたしの叔父が有料会員だからである。それだけ。まだ、おじちゃんにお礼を言っていないや。全面を読むわけではないけど、無知過ぎるのが恥ずかしいので暇なときに流し読みしたいと思う。

 おじと言えば、以前ジャックタチの『mon oncle』をみた。あの家はセットではなく建設したらしく、撮影後に取り壊してしまったらしい。残していて欲しかった。コミカルと風刺が混在していてよかった。夏目漱石の『吾輩は猫である』もコミカルと風刺が混在している。今日授業でこの作品を取り扱っていたけど、時代背景や流行した言葉、女性観などを理解していないと深く理解もできず、特有のギャグみたいなものもわからなくて寂しくなってしまった。漱石オタクの教授も「猫はきっと死ぬまで全部理解できないね」と言っていた。そういう話を聞いていると、今の世相とかを風刺した作品を観たり読んだりできるのは平成を生きている唯一の特権なのではと思った。そういう作品がどれくらいあるのかもわからないし、100年先に研究者ができてる作品が今存在しているのかもわからないものだが、平成に作られた作品でクスッと笑えるときもあるので、昔のものだけではなく現在進行形の作品もきちんと触れたいと思った。映画とかにトランプっぽいのが出てくると少しアガる。しんちゃんの映画とかその時のギャルとかギャグとかがいっぱいでてくるな、おもえば

 

 ブログにみんなの実名をだしたいのだけど、みんな嫌がるかなと思ってためらっている。面白かった話とかいっぱいあるから、記しておきたい。少し名前をもじって偽名みたいにするか、と思ったけど二次創作みたいになりそうなのでやめた。固有名詞がある歌詞とか小説は、なんかわからんけど良い。想像しやすいのか、身近な気持ちになるのか、前にヒコさんがブログに詳しいことを書いていたので、ぜひ。

 

hiko1985.hatenablog.com

 実は今日頗る体調が悪くて2限後家に帰ってきてしまった。悪寒と関節痛がすごいのだがインフルエンザにでもなるのか?このまま死ぬんか、生きるんか?辛くて授業にいけなかったのにアルバイトにいかなければならないのでしょうか。新しく家にきたでかいクマのぬいぐるみと少し眠ろうと思う。どうやら頭がぼーっとしてる時ほどブログは書きやすいらしい。

 一人暮らしをしている学生の皆々様、家具を買い足したりしていますか?これまでなぜか、「家具って買い足したら実家に戻った時邪魔だよなあ」という思考に陥っていたのだけど、よく考えれば3年後に卒業したところで実家に戻るとも思えない。そうです。あれ、これ別に家具買えるんじゃないの、と気づいてしまったのです。家具とは言わないまでも、何故か今住んでいる家を快適にするグッズたちを(スポンジ置きとかS字フックとかそのレベル)買い足すことさえ渋っていた自分が急にバカらしくなった。というわけで、少しクオリティ・オブ・ライフ(生活の質)が向上したわけであります。やったね。マジ便利だね、世の生活グッズたちは。ありがとうございます。

 最近は映画もみてないし本も読んでない。特に何もしてないという感じです。こうして春休みがすぎて行ってしまうのは悲しいな。最近読んだ本といえば吉本ばななのアムリタと中原中也詩集くらいだろうか。映画をみ始めても時間がなくなって途中でやめてしまっている。あとめぞん一刻を読んだ。

f:id:qicmip:20180310105704j:image

 成績が発表された。思ったより高かったし、高評価をなかなかとれないという科目で高評価をとれたので嬉しかった。やっぱりレポートのほうが成績がいい。2年次から文芸・ジャーナリズムに進むことになった。文ジャでなにがしたいかなあと考えた時に、詩の勉強がしたいと思ったのだけど(なるべく現代詩)、シラバスを調べても大学全体で詩の授業が全然なくて悲しかった。批評とか小説とか、その周りのことを勉強して自分でやっていくしかないのかな。現代詩手帖を買いに行くと、いつも置いてない本屋に行ってしまう。今日は買えるといいな。この間谷川俊太郎展に行ったのだけど、展示の仕方もとても良かったのでお時間ある方はぜひ。たまたま谷川俊太郎本人がいて、本当に生きてるんだ、と思った。優しそうだった

 そういう感じであります。新しいバンドを組んだ。合宿でしか披露してないけど褒められたので嬉しかった。器用じゃないので両立してやっていけるか不安だけど、どっちのバンドも頑張りたい。あとはやっぱり曲作りが早くなってほしい、我。以上です。


1. Nazis On The Northern Line | L.A. Salami - The Prelude EP


L.A. Salami - Day To Day (Another Lazy Sunday Session)