■祖母の家がある長野には毎年2回、お盆とお正月に帰る。夏と冬の2回。イレギュラーでゴールデンウィークやシルバーウィークに帰ることもある。社会人になってからはイレギュラーが増えている気がする。

桜の季節に長野に行くのは、多分初めてだったと思う。大抵の場合、桜は散ってしまっていて、葉桜になってしまっていて、かわりに花桃という桜とツツジの彩度をあげたような花が咲いている、というのが、春の決まった景色だった。

 


 祖母はもう94歳になる。父親が大学に入るタイミングで家を出てから、ずっとひとりで暮らしている。週末は近くに住む叔父たちが毎週訪問しているが、平日はデイサービスと家を往復している。寂しくないのか、と聞いたら「ずっとひとりだから慣れっこ」と言っていた。ボケてもいなくてしっかり者の祖母だが、体は着実に、ゆっくりと、不調が出てきていて、台所に立って料理をするのが難しくなり平日はデイサービスと宅配のお弁当を食べているとか、杖から「お友達」と呼んでいる歩行器に変わったとか、日中横になる時間が増えたとか、変わってきたことがたくさんある。毎日通っていた温泉も、今年のお正月を最後に、行くのをやめてしまっていて、ずっと使われてなかった家のお風呂に入っていて、いつぶつけたかわからない左手首の皮が、破けて血が滲んでいた。

 祖母はこれまで、何回この桜を見てきたのだろうか。今年も、桜を見られたのだろうか。祖母はいつもどんなふうに過ごしているのだろう。

qicmip.hatenablog.com

 

星野源の新譜をずっと聴いてる。去年の3月〜5月くらいに、星野源しかきけなかった時期があって、それまでは全然聴いてなかったんだけど、そこからたくさん聴いてる。新譜良い。

アートワークをやっている藤田さんは、去年のTOKYO ART BOOK FAIRでトークイベントを聞き、そのあと悩み相談までさせていただいて、めちゃくちゃいい人で、作品もシンプルなのに唯一無二で、色味使いもテキストの配置も、ぜんぶ洗練されている感じがとても好きな人で、唯一追いかけてるデザイナーのひとかもしれない。今回星野源の新譜のアートワークとか、ツアーグッズもつくられてて、自分が好んでる人同士でやっぱり繋がるんだよなーと思って不思議だった。そういう輪廻みたいなものってある。

www.youtube.com

 

なんでもないブログのようなもの。

「20:30」新刊のこととか

 

 

■5月11日(日)の文学フリマ東京40で、『20:30』の最新号vol.8を販売します。今回は柴田聡子さんをゲスト(!)に、迎えています。ありがとうございます。

「家族と」という詩を寄稿しています。映画「どうすればよかったか?」を観て以来ずっと考えていることを、題材にしています。答えが出ないことばかりだけど、考えることはやめたくない。結論を言わない詩ばっかり書いている気がする。


また、今号はブックデザインも担当しました。

Xにも書きましたが、ニジュウサンジュウはあらゆる背景を持つ人が集まった詩人のコレクティブです。作品も、パワーも、人柄も、思想も、多層に重なり合っています。光のしたで、光が射す/射さないに関わらず、波紋のように広がっていくといいと思います。そんなイメージを装丁にしました。

 

f:id:qicmip:20250503121151p:image

 

文フリ当日は、寄稿した文芸誌「らんちう」vol.2もブースに置きます!ぜひお手に取ってください。

 

f:id:qicmip:20250503121331j:image
f:id:qicmip:20250503121336j:image

https://x.com/nijuusanjuu/status/1917560565268111660?s=46

 

 

◾️ホームページをリニューアル中です。まだ調整中ですが公開しちゃってます。ちょっと表示がおかしいところがあると思いますが、今後はXをやめてこのはてなブログとホームページと、たまにthreadsとかインスタとかで発信するつもりです。

 

いまは、こういうムード。

f:id:qicmip:20250503121658p:image

 

牛山茉優|mayu ushiyama

『どうすればよかったか?』感想

統合失調症になった姉と同居する医学研究者の両親を記録したドキュメンタリー映画。撮影者は発症後に家を出た弟(監督)。 20年間まともな診察を受けず(両親が診察を拒み)、姉が外に出ないように異様な内鍵をかけた。母親が認知症になって部屋が散らかり、虚言を吐くようになり、姉の症状もどんどん悪化したところで、やっと家族は息子が提案し続けていた「診察」の選択肢を選んだ。姉はすぐ入院した。経過がよく3ヶ月で退院した。退院後の姉は明らかに違っていたし、会話も家事もするようになっていた。観ていてしんどすぎて、めちゃくちゃ疲れた。人の家族だから知らないけど、という前置きと一緒に感想。「どうすればよかったか?」と思えるのは、過去を間違っていたと判断した結果でしかなくて、弟と両親との間にはその違いがあった。両親は間違ったと思ったことなどなく(思わないようにしていたのかも)、それぞれの知識と決断に従っていただけ。二十何年もの間、ただ娘と暮らしてただけ。たまにしか帰ってこない弟には、知り得ないような時間の経過がある。 誰も悪くないし、みんな悪い。みんな悪いけど、正解の選択はわからない。

 

ずっと聞けなかった「どうすればよかった?」という問いを、もう余命わずかの父親に、脳梗塞で倒れて顔面麻痺が残って、うまく話せもせず、ほおがこけ、痩せ細った父親に、してしまうのが、恐ろしかった。監督がずっと悩んできた問いの正解はどこにもないのに。あのとき父親が「もっと早く病院に連れて行けばよかった」と言ったところで、誰も救われなかったと思う。家族ってなんなんだろう。めちゃくちゃ歪な集合体だし、愛していたとしても他人同士が結婚して、ここまで家族という形を保つために踏ん張れるかな。何が幸せで、幸せじゃなかったのかな。

観て感じたことを、一生忘れないと思う。


www.youtube.com



12月に思っていたこと

下書きにあったけど、よんだら悪くないじゃんと思ったので、蔵出し

 

■今日(土曜・12/14)はあまり元気がなく、学校をサボった。幼少期から学校をサボる癖がある。でも、「サボろうかな」と思ってから「休みます」の連絡を入れるまでの葛藤は長い。その葛藤の最中で心が逆に折れ、学校に行ったことも多々ある。

今日は、と言ったが、最近あまり元気がない。週半ばに久々に体調を崩し、仕事も休んでしまった。熱も出て、急ぎの仕事もなく、休むことが最善であるはずなのに、休みの連絡をいれるのに勇気が必要だった。サボる時と同じぐらい、心に葛藤があり、これだったらいっそ行ってしまったほうが精神的にいいのではと思ってしまうほどなのである。

 

 結局今日は学校をサボり、といいつつ、学校のある渋谷にまでは移動してしまっていたので、その足のまま恵比寿まで散歩し、写真美術館に行った。家に帰って「カルテット」を観た。奥渋の本屋SPBSで買った『わたくしはYES』を嗚咽しながら読んだ。あまりにも泣いてしまうから最後まで読めなかった。

 この歳になっても元気になるやり方は、泣くことと何かをインプットすることでしかない。とにかく、手当たり次第のインプット。結果、少し元気になった感じがする。

 私の精神は未熟で、未熟のまま成長してしまっていて、人に頼ることも苦手で、心配されることにも慣れておらず、どう対処していいかわからないことが未だに多くある。対処のやり方がわからないまま、結局感情が溢れて、涙が出てしまって、そのまま止まらなくなることもよくある。こんな精神状況でいることが恥ずかしく、未熟でありつづけることが怖い。でも結局、どう成長すればいいのかわからない。友人の前や職場では平気な顔をしているのもタチが悪い。

 写真美術館には、アレック・ソスを目当てにいったが、同時にやっていた展示「日本の新鋭作家の展示、「現在地のまなざし」も良かった。特に、新鋭作家の千賀健史さんの作品が好みだった。主題を明らかにしつつ、こちらに委ねてくる余白もあり、かつハッとさせられるテーマだった。にしても、私は写真美術館が好きだ。疲れると足を運んでしまう。

 

■今日(日曜・12/15)は、仕事の日よりも早く目覚めて、二度寝したかったが毛布からはみ出ている頭が冷えまくっていて断念。家、寒すぎる。どう対処すればいいのかわからない。窓を取っ替えたい。

 元々予定があったが急遽何もない休日になったので、来週のイベントの準備でもするか、と思いつつ、他の後回しにしていることを考える。

 ・シンクの排水口の蓋をゴム製からステンレス製に変えたい

 ・体温計用の電池を買いたい

 ・ゴミ袋を買いたい

 が、浮上。近所のホームセンターに出かけることにする。その前に洗濯を干し、扇風機を掃除した。これも後回しにしていることリストに入っていた内容。

 諸々購入でき、シンクも見違えた。やっぱりこの家を自分の家に変えていかなくちゃいけないのかな、と思ったが、引っ越したい。

 

 その後、来週のイベントに向けて準備。

■死ぬことについて考える。というか、そういう作品を読んだり、見ることが近頃多い。その度に思い出すのが、長野で一人で暮らす祖母のことと、両親のことだ。死は平等であり、いつ死ぬかなんてわからないのに、自分のことは棚にあげ、老齢のひとのことばかりを思い出す。

 祖母は長野に一人で暮らしている。叔父夫婦が近くに住んではいるものの、独居老人で、平日のうち3日はデイケア、土日は叔父夫婦の世話になっている。つまり、平日のうち2日は完全な独居老人だ。

 祖母の家には、生まれた時からお盆と正月の年2回はほとんど必ず帰っている。私の帰省先はあくまでも祖母の家で、両親が暮らしている家ではない。家族はみな、お盆と正月に祖母の家で落ち合う。

 私は、一年のうち10日分ほどの祖母しか知らない。一人でいるとき、どういうテレビを観て、なん時に寝ているのか。独り言は言っているのか。近くに友達はどれだけいるのか。祖母の実家家族とはあっているのか。最近の悩みは何なのか。電話はどれくらいくるのか。1日をどのように過ごしているのか。私は29年祖母の孫をしているが、ほんとうに何も知らず、観たこともない。そのことが、とてつもなく寂しい。

 355日の祖母は、間違いなくそこにあり、友人と笑いあったり、一人でテレビを見たり、花の世話をしたり、家の前の雑草をむしったり、デイケアに通っているはずである。トイレや、居間のカレンダーに書き込んである、祖母のヘナヘナの字で書かれた予定を、日々確認しながら過ごしているはずである。でも、私はその姿を見たことがない。

 祖母ときちんとコミュニケーションをとるようになったのはここ数年のことだ。それまでは、いったい何を聞いていたのだろうと思うほど、無愛想であったと思う。

 

 そうしていたら、谷川俊太郎が亡くなった。

結局、今でも、呼び捨てしてしまうほど遠い存在だった。幼い時から触れていた言葉たちを紡いでいた人。数年前、初台でやっていた谷川俊太郎展に行った際、たまたま谷川俊太郎本人がゲリラ的に朗読をやるところに居合わせた。それが最初で最後の、谷川俊太郎本人だった。何の詩を朗読していたのかもまったく覚えていない。一節だけでも覚えられていたらよかったのに、と思う。中学生の時、詩を読もうと思って、買った『二十億光年の孤独』を書いた人。詩人のなかでいちばん著作をもっている人。去年立川でやっていた展覧会も行った。やっぱり一番身近にいる詩人だった。

 亡くなる前に、『ららら星のかなた』をちょうど読んでいた。死に近づいている谷川俊太郎に、伊藤比呂美が興味津々にインタビューをする、というのがだいたいの構造で、死にゆくことについて、食事、詩を書くこと、などいろいろ聞く。特に、谷川俊太郎の父の話と、弔辞の詩についてが、私は忘れられず、途端に自分ごとのようにすり替えて読み、まんまと号泣した。

 死ぬことについて考える、ずっと考えている。

01/06/2024

今日も職場で

白色電灯に照らされ

キーボードを叩く

画面の先の相手と

会話をし

同僚と談笑する

これが私の暮らしである

 

思い出す

iPhoneのなかでは

戦いがはじまり

人が人を殺していること

同じ言葉を話す人が

死に

暮らしを奪われていること

私は心を痛めている

悲しみ

泣き

怒っている

 

大きな爆発が起こる

子どもの死体を見つめる

家屋が倒壊している

波が押し寄せている

私はできることを探している

できることを探して、知ろうとする、行動を続けている、続けたいと思っている、だけど、私は、私の暮らしに戻ると、手一杯になり、忘れ、思い出し、祈り、忘れ、思い出し、行動し、また忘れる

 

暮らしは続いている

そして祈り、思っている

 

今日も職場で

白色電灯に照らされ

キーボードを叩く

画面越しの相手と会話する

夜まで働き

電車でiPhoneをひらく

祈る

怒る

うちに帰る

これが私の暮らしである

私はあらゆることを忘れている

忘れられる日を祈っている

私は暮らしを続けている

 

続きを読む