あたまのなか

最近かんがえていたことを、整理したいからまとめてみる。

 

とある授業で読物と文学の違いは、事件があるか否かである、と教わった。事件とはその経験前後で、自分の内部の一部若しくは全てが変わる、ということであるらしい。 

10代の頃に体験した文化的な衝撃は、その後の人生において深く影響を与えるものだと思う。おそらくその都度事件が起こり、自分の中の常識が崩壊する。3年後の自分が常識として理解していることも、10代のうちでは違うことだ。例えば、人間が生き、いずれ必ず死ぬという自明な事実も、10代のうちに体験すれば、大きな事件のひとつであるだろう。

 

しかし、大人になるにつれて、事件と出会う確率は格段に減っていく。

事件とは別に、生活をしていると私たちの常識が壊れ、変わることがある。子供の頃に許されていたことが子供であったから許されていた、と知ることがある。その時、私たちは自分の中の常識を変える。その常識は、大人になればなるほど、生活の月日を重ねれば重ねるほど、固定されていく。そして、まだ無知な常識の人々を子供だなあと思うようになるのではないだろうか。

 

では、大人とは一体なんなのだろう。

自分で働くようになってから?20歳を超えてから?お酒を飲んで深夜まで起きているから?だから大人なのだろうか。

子供になりたいと思ってしまった時から、私は大人になってしまったんだと思う。勿論まだまだ無知だし、子供っぽいところもたくさんある。だけど、大人と子供の狭間のような場所に立っているのだと思う。少し、昔の常識が崩れ、新たな常識が生まれていく。その過程が、大人になっていく、ということなのではないだろうか。

 

世界に新しいことは、何もない。だからこそ、私は既知の中から未知を見出す生活を送りたいと思っています。既知の中で事件を体験し、常識が崩壊するような、生活。《既知を疑え、未知を遊べ》、そういう謳い文句に踊らされてこの学部に入学したけれど、まだ間違ったとは思っていない。毎日楽しい。

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一回書いて、消えてしまったから書き直したものの、全然違う文になってしまったような気がする、悲しい。