01/06/2024

今日も職場で

白色電灯に照らされ

キーボードを叩く

画面の先の相手と

会話をし

同僚と談笑する

これが私の暮らしである

 

思い出す

iPhoneのなかでは

戦いがはじまり

人が人を殺していること

同じ言葉を話す人が

死に

暮らしを奪われていること

私は心を痛めている

悲しみ

泣き

怒っている

 

大きな爆発が起こる

子どもの死体を見つめる

家屋が倒壊している

波が押し寄せている

私はできることを探している

できることを探して、知ろうとする、行動を続けている、続けたいと思っている、だけど、私は、私の暮らしに戻ると、手一杯になり、忘れ、思い出し、祈り、忘れ、思い出し、行動し、また忘れる

 

暮らしは続いている

そして祈り、思っている

 

今日も職場で

白色電灯に照らされ

キーボードを叩く

画面越しの相手と会話する

夜まで働き

電車でiPhoneをひらく

祈る

怒る

うちに帰る

これが私の暮らしである

私はあらゆることを忘れている

忘れられる日を祈っている

私は暮らしを続けている

 

続きを読む

2023年

f:id:qicmip:20231231183029j:image

 

◼︎2023年は準備の年だった感じがする。具体的に?と言われるとはっきり言えないけど何年後かに振り返ったとき、準備の年と感じるはず。

◼︎まず詩のこと。『20:30』vol.4の裏テーマ:牛山の復活に恥じぬよう(多分覚えているのは私だけ)、詩だけじゃなくあとがきや座談会、文フリ当日も店番をしたりした。vol.5も引き続き参加。ニジュウサンジュウはいい雑誌です。内側に閉じないように、これからも頑張っていきたい。

 徐々に取り扱ってくださる書店さんも増え、嬉しい。見つけたらぜひ手に取ってください。

 いろいろなイベントでこまめに売ってきた2021年4月に出した第一詩集『洞』の手持ち分が売り切れた。出版社在庫もあまりなさそうなのですが、大きい書店には置いてあったりもするので、もし気になる方がいたらぜひ読んでほしい。書いた当初(2019〜2020付近)こんなに世相が変わっていくとは思っていなかったけど、今考えなければいけないこともしっかり書けている詩集になっていると思います。感想もいつでも待ってます。アルバムみたいにレビューとかしてくれませんか。ほんとに待ってます!

洞 - 牛山茉優 ─ 七月堂

 

 詩のこと、と思って書き出したけど今年発表したものはニジュウサンジュウの活動しかなかった。もう少し頑張りたいなあ。と思うと同時に、あんまり気負わず、ゆっくり書き続けていければいいなとも思っている。

 

◼︎個人的な活動をまとめるホームページを作った。STUDIOというノーコードで制作ができるサイトを使ってます。小中時代のホームページ作成経験が生きたのか、思い立ってすぐ作り終えられ公開できたのが良かった。ここに私の経歴やワークスをまとめていますので見てみてください。

 なお、今は操作ミス?なのか設計が全て白紙になってしまい再編集ができなくなり絶望しています。もしSTUDIO公開ページの設計を編集画面に呼び戻す方法を知っている方がいたら教えてください。非常に困っています。

mayuushiyama.studio.site

 本当はホームページ内で詩を発表できる場を作ろうと思ったのだが、ホームページの設計がうまくできず断念。たとえば、過去の詩を載せたり、新作の詩を載せたり、demoみたいな状態のものを載せたり、いろいろここだけで発信していきたかったんだけど・・・まだかっこいいことはできそうにないので、引き続き模索しながら作っていこうと思います。

 

◼︎他、2023年個人的なこと。引越しした、千葉から東京の西のほう、地平線近くに山脈が見えて大変嬉しい、私は山に憧れがあるし自然がないと生きられない。友達や同僚とたくさん話した、のんだりご飯を食べたり、びっくりして傷ついたり、楽しんだりした。学校に通い始めた、週1だけどすごく刺激になる。岩手に行った、福岡に行った、長野、山形にも行った、祖母や親戚にたくさんあった、家族が増えたりした。仕事にある程度慣れた、多分人に慣れたのが大きい、生活のリズムもある程度できてきた、全然納得できないこともあるけどまあ、程々にやっていきたい。そうしている間に、ガザへの侵攻が始まって、ロシアの過去最大規模の攻撃も続いている、そのことを心から悲しみ、署名だったり、最新情報を仕入れたりしているけど、結局無力だと感じることが多く、でもだから何もしないことにはならず、でも気づいたら自分の生活でいっぱいになって、すこしわすれてしまって、朝ニュースでおもいだして、ああ忘れてた自分がいたと苦しくなったりする、今終わってほしいと心から思ってる。

 

◼︎2024年は、個人的なzineを作ること、詩をもっと書くこと、このページを続けること、を小さな目標に。書くこと、をおおまかな目標にする。

 あとは映画を見て、写真を撮り、音楽を聴き、演劇をもう少し見て、会いたい人に会って、笑うだけ笑いたい。M-1面白かったなあ、ミーハーなので中学生ぶりにお笑いにどハマりしそうで、怖いです。

来年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

選択と人生 他

f:id:qicmip:20231221231230j:image

◼︎あまり続けることができなかった人生で、「これに適正はあるだろうか?」「これが最適解だろうか?」と思いながら始めてみてはある程度できたところで「やーめた」となるタイプであった。突き詰めるためには忍耐だけではなく、それを選ぶ(あるいは選び続ける)勇気が必要であって、私にはその勇気が足りていないと常々思う。「知る」段階の最初にある好奇心が落ち着き、「知っている」段階になった後、どれくらい「さらに知る」「知り続ける」を選ぶことができるのか。今の私に「知っている」次段階に進めているものはあるのか。選択することの難しさに毎日直面している。

 選択することは、片方の選択肢を捨てることではない。頭ではわかっているが、どちらか一つしか選べない状況というのはかなりの確率でやってくる。選ばなかったもう片方を選ぶタイミングが次来たとしても、それは1年、3年、10年先だったりする。その割に選択肢の分岐に立つことは多くて、その時のノリだったり興味関心で決めたりする。新しく始めたはいいものの、知った先で違うかも、と思うことはよくある。それに悩んだり、また間違えたと思ったりする。そして、別に好きなものだけ好きでいればいいのでは?という気持ちと、勉強や知らないことを知ることを始めたい、と思う気持ちが拮抗してきたりする。

 選ぶことについて、いろいろ考える。私自身に関することもそうだし、仕事も、私に関係ない人も、友人も、世界情勢も、全部誰かが選んでいる。私の何の気のない選択が、誰かの人生に影響を与えたりする。そのことが、すごく怖くなることがある。何を話すのか、誰と会うのか、一人でいるのか、どの道に進むのか、どちらにノーを唱えるのか、選択肢はいつでもどこにでも転がっていて、その選択肢が私の中で重要なこともあれば、重要でないこともある。私にとっての最大の選択が、世間にとっては何でもないことも多い。でも、毎日何かを選んで進んでいる。

 選択に後悔することも多いし、選んでみて良かったことも多い。

 そういう選ぶだったり、選ばないだったり、選べないことについて、同人『20:30』vol.5では二つの詩を書いた。もう少し上手く書けた気もするが、「書き終えた」という選択をしました。もし気になる人がいればぜひお手に取ってみてください。

 

 

f:id:qicmip:20231221234750j:image

◼︎あとは少し最近のこと。ポーランド映画祭にて『バルコニー映画』を観た。監督はパヴェウ・ウォジンスキ。彼の自宅にあるバルコニーからほぼ定点で撮影され、道ゆく人に「人生の意義は?」を聞くという内容のドキュメンタリー映画。監督の優位性(性も金銭面ももしかしたら育ちも)からくる不躾さにソワソワしながら、バルコニーからバルコニー下の歩道を歩く人々を眺める構図にやや居心地が悪くなる。こういう優位性みたいなのって突然浮き彫りになる時がある。出てくる人は恐らく彼の近所に住む素人の人々。人生を歩んできた年配の方や、夢を語る子ども、妊娠→出産を経た夫婦、出所をして家を借りられず物乞いをする人、など出てくる人は様々。それぞれに人生があり、共通する「人生の意義」などない。強いて言えばみんなそれぞれ一人だし、誰かと繋がって生きていることだけは変わらない。「人生の意義は?」を見つけたり聞くこと自体が、かなり不躾で、身勝手で、傲慢だなと思った。

 

◼︎武新作の『首』も見た。2019年に新文芸坐で武映画オールナイト上映を観てからまんまとハマってしまい、ハマってからは初めて劇場新作を見ることができた。かなり笑えた、コメディーだった。出演者としての武も「ビートたけし」という感じ。誰かを欲してしまう状況みたいなのってあるよなあ、と思いながら見てた。インタビュー読んでもう少し考えたい。

 

◼︎他、荒井良二展や開催決定時から行きたかった「みちのく いとしい仏たち」展にも行った。特に荒井良二展は形式とかやってはいけないこと、に問わられずもっと自由にしていいんだと思えたのがすごく良かった。型にはまるとか、ぽくないとか、全部捨てていきたいな。

 最近インプットを書き留めたりしてこなかったので、これからはこまめにやっていきたいと思っている。

 

◼︎大学入学ごろに書いていたはてなブログを引っ張り出し、シワも伸ばさず、ここでまた書き留めていく。これもまた選択の一つ、続けることができなかったのではなく、最善を探している、ということにしたい。

0825

f:id:qicmip:20231209184544j:image

 

noteってあんまり向いてない。記事を書く部分のUIがダメなのかも。MS365のメンバーシップをやめて、macのテキストエディットで詩を書くようにしたら全く書けなくなったのと似ている。言葉を紡ぐ時に見えている景色はかなり重要だったのかもしれない。というわけで今もこれをはてなブログで書いている。はてなブログってなんか落ち着く。

 文章を書こうとすると、どうしても落ち込んでいる時に手が向いてしまって、そういうんじゃないよなと思ったらあんまり更新できなかった。別にどういうんだって書けばいいものの、筆は進まず今日に至る。

 


 今年の夏もフェスにいくことはなく、友人・知人たちのSNSで雰囲気を味わって終わった。みたいアーティストはいたけど、一日外に居続けられる自信がなく色々と断念。もうそろそろ夏が嫌いになりそう。夏の寂しさは大好きなんだけれど、最近はそれもあまり感じられない。暑すぎる。

 8月頭にコロナになり、いろいろと出鼻を挫かれた気分。症状的にはかなり辛く、病院や発熱センターに電話するものの市販薬で頑張れ、とのこと。アクエリアスと蒟蒻ゼリーとナロンエースで生き延びるものの、高熱で私自身もゼリー状に。溶け出した液体は締切った部屋の中で一週間ほど彷徨っていたが、回収はできず。8月の一部と私の一部が東京の西の方に流れていってしまった。

 平日は毎朝6:45に起きようとして、7時に起き上がる。最近は全部の支度が早くできず、昼食用のおにぎりをにぎる余裕もない。7時40分過ぎに家を出て、15分ほど日傘をさしながら歩く。最近新しい音楽を見つけられてないので、ずっと聞いているmen i trustやbig thief、あとはnew jeansとかをとりあえずかけるのだが、大好きなのに惰性で聴いている感じがあってやや落ち込む。何か新しいアーティストを開拓したい。

 駅に着いて、一本見送ってからきた電車に乗る。基本的に満員電車なので座席の前に立てるか、という点が重要。この位置につけないとこの日の通勤は終わったも同然。駅に着くたびにホームに降り、全てがリセットされるはめになる。ここで失敗すると1日がダメになった気がするので気合いを入れて挑む。へとへとになり会社につき、働く。

 帰りは行きの逆を繰り返す。全く同じ。変わり映えなし。途中下車することもなく最寄りから降り、だんだんと暗くなっていく中とぼとぼと歩く。歩くスピードは行きより遅くなってるな。やっとの思いで家についたら、ご飯をつくって、お風呂に入って、一息つくと眠くなって寝る。最近は本当に起きていられなくて、22時台にはベッドに入っている。それもあって平日は何もできない。23時台の時計を見るのも、本当に稀になってきた。

 


 私は日々の中で変化が少なくなると、いつまでこれが続くのかと思ってしまう。変わり映えのない日々に焦りを感じたり、これでいいのか?と自問自答したりする。「こうじゃない」という漠然とした思いが、ずっと付き纏っている。みんなもそうなんだろうか。今はまあそれとなく生きているけど、生きているだけって感じ。ずっと考えているけど、ただ考えているだけかも。